視点場地図

遠山桜が展望できる視点場を写真付きで紹介しています。オレンジ色ピンが視点場、萌黄色ピンが山。

※路上駐車などの迷惑行為に注意してください。特に春の農道は農家さんが頻繁に利用します。


西の富士、東の筑波
西の吉野、東の桜川

広大な関東平野にある筑波山塊のほとんどに山桜の群生があり、北部の鶏足山塊との間の盆地に櫻川磯部稲村神社が鎮座しています。そこに磯部桜川という山桜の国指定名勝地があるのです。山々を彩る山桜の花びらが、山から流れる支流に散り、それらがやがて本流に合流し、花びらで埋め尽くされた川になる。ましてやそれが筑波山一帯の山々であったことから、それが歌枕「桜川」発祥の原点となり紀貫之の和歌になった。

「常よりも 春辺になれば桜川 波の花こそ 間なく寄すらめ」(紀貫之)

山や雑木林から美しい山桜を移植して集積地とした櫻川磯部稲村神社の境内、参道(桜の馬場)。神社はその見事な風景を物語にして献上し、謡曲『櫻川』が生まれた。「桜川」というと桜堤を想像しがちですがそれは違います。山の桜が作り出す川面の桜(花筏)が由来です。つまり遠山桜あっての「桜川」誕生ということなのです。昔の筑波詣(つくばもうで)は八郷(石岡市)十三塚からが正規ルートだったことから、筑波山塊の石岡市側の山桜もたくさんの人々に愛でられてきたことでしょう。筑波山塊は低山なので人が関わりやすく、里山として常緑樹が伐採され落葉樹が山を覆うということが数百年単位で繰り返されてきたのではないでしょうか。また、古くから神の山、霊山だった筑波山の南面や、常緑樹が少ないと言われてきた難台山のような例、そして昭和中期に枯れてしまったアカマツ林と、山桜の出現理由は必ずしも人が手を入れた山だからというだけではないはずです。現在言えることは、とにかく圧巻の風景「遠山桜」が出現しており、これは茨城県の宝であるということです。こうした風景の中で生まれた「東の桜川」。威光ある「桜川の山桜」は江戸(隅田川、小金井、飛鳥山)や水戸に移植されてきました。また県内各地に点在する一本桜は、それら地域の名桜のシンボルとして広まっていったものもあると思います。土壌が豊かで温暖な気候、農作物が良く育ち、魚介が豊かな霞ヶ浦と川がある。常陸国が「常世の国」と言われてきたのも頷けます。現代の遠山桜、そして一本桜の現存率を鑑みれば、常陸国(茨城県)は日本一の桜の国といっても過言ではありません。(常磐百景PROJECT坂野)